1992年2月21日(金)  ディズニーランドへ行ったが・・・


 

バス停はどこ?

 8時起床。夜中に何度も目が覚めた(時差ぼけ)。 ホテルのレストランで朝食。9時半ごろディズニーランド行きのバス停探しに出発。(途中で翌々日のフライトのリカンファーム)
  バス停は、某ガイドブックによると、「Figueroa St.と5th St.の角にある」とあったので、行ってみたのだが、行けども行けどもそんなものは見つからない

  うろうろした結果、5th St.ではなく、6th St.が正しいと判明。誤記のあるガイドブックを恨むのは筋違いか?

  ようやく目的のバス(RTDバス#460)に乗車、ディズニーランド到着まで片道2時間ぐらいかかった。 しかも、入場したところが正門ではなかったらしく、場内の案内パンフレットも入手できず、 地理がわからず、無駄な時間が過ぎていった。

  日本よりも暖かいらしく、コートが邪魔になってきた。ふと周りをみると、半そでの人もいた。 コートはロッカーにあずけた後に行動開始。既に13時過ぎになっていた。

 ということで、
 ・ディズニーランド鉄道
 ・キャプテンE.O
 ・ジャングルクルーズ


  この3つのアトラクションしか行かれなかった。えーっ。これなら東京ディズニーランドの方が良いのでは?16時過ぎには退園、帰りもバスを使用。ダウンタウンに戻ったのは日もとっぷり暮れた18時半ごろ。

 JTBのルックアメリカンのツアーで翌日の「ティファナ・サンディエゴツアー」を予約しようとしたが、遅すぎたためアウト。 結局ホテルに置いてあったチラシに掲載のツアーで「市内及びユニバーサルスタジオ行き」に翌日の計画を変更。 夕食も、ホテルのレストランで、となった。

  やたらに喉が渇き、普段は全く飲まない缶コーラを部屋でがぶ飲み。

  アメリカが人種のるつぼ、というのは本当だった。 市バスの乗客の中にも様々な人種がおり、各言語(と言ってもインド・ヨーロッパ語族系)が飛び交い、日本やニュージーランドと全く雰囲気が異なっていた。

 この日になって、成田到着前のスーツケース運搬による筋肉痛が悪化。上腕二等筋のほか、鎖骨と肩甲骨が痛い。

 


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