1992年3月2日(月)  バークレーへ


 

 BARTを利用して、Berkeleyへ行った。

 ※BART (Bay Area Rapid Transt):サンフランシスコとイースト・ベイを結ぶ近代的な交通システム。切符の販売から改札、運行スケジュールに至るまで全てコンピュータで管理されている。

 カリフォルニア大学バークレー校(University of California, Berkeley)を見物。
セイザータワー(Sather Tower)に登り、スチューデントユニオンで買い物をし、イタリア料理レストランにて昼食。

 ダウンタウンに戻ってメイシーズ(ホテルの隣のブロックにあるデパート)で買い物をしようということになった。 この時も私は気管支炎のため、あまり体調がよくなかった。BARTの車内で記念写真を撮ったけれど、後日その写真に写る自分の顔を見てギョッとした。誰も何も言わなかったけれど、きっと周囲の人もギョッとしていたに違いない。見るからに具合の悪そうな様相で・・・って誰も私のことなどそんなに気にとめてはいないだろうけど。

 したがって、バークレーから戻ったときには、激しい頭痛と酷い咳に悩まされ、立っているのもやっとで、本当はホテルで寝ていたかったのだけれど、どういうわけか「私は1人でホテルで寝ていたい」と言い出せず・・・(今思うと何でそんなことが出来なかったのか実に不思議。誰かに強要されたわけでもなんでもないのに、バカだねえ。)、みんなと一緒にデパート見物をしたのだった。本当にバカだねえ。健康であっても買いたくもない(って言うか、買えない)ような高級な品々の並んだ高級デパートとやらの売り場を 頭痛を堪えてぐるぐるとついて歩いたのだから。

 夕食時はついにダウン。もう動けない。食事には行かず、ヨーグルトを食べ、1人でホテルで寝ていた。他の3人は、後で聞いたらピザをテイクアウトして食べたんだそうだ。

 高熱と頭痛と咳のほか、眼の状態も悪くなり、目やにが出まくって充血してべとべとして、まばたきすると痛くて、いったい何なのだ?旅行記のはずが、だんだん闘病記のようになっていく。眼については同じ部屋にいた友人が私よりも先に同じような症状を訴えており、互いに風邪をうつしあい悪化させあっているような状態だった。しかし他人を思い遣っている余裕もない。旅行期間が長いだけにこれは辛い。本当に辛かった。

 更に、泣きっ面に蜂というのか、この日、DFS(免税店)でクレジットカードを使って珍しく買い物をしようとしたのだが、「限度額オーバー」で使えない、などと言われ、あきらめた。これはかなり動揺した。限度額を超えるような買い物を私がするはずもなく、いったい何が起きたのかもわからず、とりあえず東京の自宅へ電話をかけて(留守だった)、留守番電話にいろいろ訴えた・・・。

 


翌日へ進む

前日へ戻る

日程表へ戻る