オーストラリア旅行記 その3

      


1993年9月10日(金) 旅行7日目 シドニー 晴

シドニー滞在 自由行動    

終日自由行動

 

 

 




シドニー・タワー・レストラン
Sydney Tower Restaurant
タワーの最上階にある回転レストラン
Sydney Tower, Centrepoint
233-3722
 

 

 9時近くまで寝ていた。10時ごろ、ホテルのレストランで朝食ビュッフェ。ゆっくりしていたので、活動開始は11時近く。
まず、
ハイドパーク方面へ歩いて行って、聖メリーズ大聖堂前で写真を撮る。日なたは暖かいが日陰は風も強くて寒かった。脱いだり着たり、服装調節が大変だった。ハイドパークを横切り、地図を頼りにローラアシュレイの店へ行った。友人に頼まれていたローラアシュレイの1とかいう”香り”を購入。73ドル50セント也。さて、オードトワレとオードパフュームとはどう違うんでしょう。という状態で選んでいたんだが、良かったんだろうか??

 また歩いて
タウンホールステーションを見つけ、切符を買い、ハーバーブリッジを渡る電車の2階左側座席に座り、ノースシドニーの最初の駅(名前を忘れた)まで行って見た。写真を撮って(って、こればっかり)ウインヤード ステーションまで逆戻りした。ロックス方面へ歩いて行って、DFS・ザ・ロックスを探しあて、狂ったように買い物(珍しい・・・)。100ドルのT/Cを一挙に3枚も使ってしまった。友人に頼まれていた口紅だの自分用のネックレスだのコアラ型のチョコレートだの、ばかばか買いまくってしまった。

 そこから
ハーバーブリッジの柱とやらにのぼってみるべく、歩きまくって入り口を見つけた(ちょっと期待はずれだったが、とりあえずオペラハウスを望むことはできた)。
←ハーバーブリッジ南端からオペラハウスを望む

 さらに歩き続けてアンガス&ク ート免税店に行き(このとき14時半ぐらいになっていた)、昼食を食べなきゃってことで、シドニータワー方面までの長ーーい道を歩いて歩いて歩きまくってようやくマクドナルドで昼食を食べたころには15時になっていた。

 クイーンビクトリアビルティングというショッピング街をぶらぶらした。メモ帳とかぬいぐるみとかシールとか、くだらないものを次々と買った。頼まれもののゴルフクラブカバーなんてのもここでようやく見つけて一安心。これでどさっと荷物が増えてもうへとへとになっていたよ。

 18時から
シドニータワーレストランでの夕食を予約していたため、大荷物を担いで行ったさ。ゆっくりゆっくりと部屋全体が回っていく、夜景が見られるすごいレストランで、ビュッフェ(と言っても、口をきいて頼む)方式。ローストビーフなどを食す。
 さて、食後にコーヒーを飲もうと思っていたのだが、このころ( 当時23歳)未だ
「エスプレッソ」というものを知らなかったので、どんなものなのかと頼んでみたところ、その店の気の強そうなネエチャンに「これはstrong coffeeだよっ」と、ぱきぱきっと言われたので、キョトンとしていたら「ふんっ」ってな顔をされて、「もしあなたがstrong coffeeを望むんならかまやしないわよ」というような言い方をされたもんで、・・・「あ、いや、normal coffeeでいいです」と回答しました。ちぇ。なんかこれも嫌な思い出だなあ。くそ。

 まあ、何はともあれ夜景の見える回転レストランでの食事はそうそうできることでもないし、よしとしよう。周りには日本人グループも多く、メニューにも日本語がふってあって、またジャパンマネーの威力を感じてしまいました。
 19時30分まで夜景を見ながら過ごし、タクシーをひろってアンガス&ク ートに行ったのだが、既にそこは閉店。再度タクシーに乗ってホテルに帰ろうとしたのだが、今度はなかなか拾えない。やっととまってくれたタクシーの運転手に行き先を告げるのだが、こんどはそれが通じない。
「ブールバードホテル」と伝えているつもりなのだが、これが全然、通じない。BOULEVARD は、ブールバードじゃなくて、「ブーウヴァー」ぐらいのつもりで発音してみるのだが、どうしても全然通じなかったぞ。しまいにゃ、その運転手に(そこはラマダホテルの前だったので)「そこのホテルのドアマンに言え」と言い渡され 追い払われた。疲れたのでおとなしく引き下がり、ラマダホテルのドアマンにお願いしてみたところ、これが実に親切だったさ。何の義理もないのに、世話になってしまったなって感じ。さすがラマダホテル。立派だ。助かった。

 そいうわけで、どうにかこうにか20時30分ごろにはBOULEVARDホテルにもどることができたとさ。


1993年9月11日(土) 旅行8日目 シドニー 晴

オプショナルツアー参加
「ブルー
マウンテンとオートラリアンワイルドライフパーク1日観光」
   

8:25 ホテルロビー集合

11時 ブルーマウンテン国立公園

14:50 オーストラリアンワイルドライフパーク

16:30  シドニー市内に戻る

 

 早くも1週間経ってしまった、という感じ。日本に帰りたいような帰りたくないような独特の感じ。

 この日はオプショナルツアーに参加した。7時にモーニングコールだったのだが、6時30分に部屋設置のアラームをセットして勝手に起きていた。8時25分にホテルのロビーに集合。周辺のいろいろなホテルから日本人ばかりをピックアップして、シドニーを出発。今日のガイドは中年の女性で、日本人らしかったが、母国語が日本語というわけではないらしく、
何を言っているのか理解するのに疲れてしまった。これがまた、ペラペラよくしゃべるんだよね・・・。あー疲れる。アメリカに行ったときのように、現地のツアーに参加して現地のガイドが英語をベラベラしゃべっているのを懸命にヒアリングするのと比べると、どっちが疲れるんだろう・・・?

 ブルーマウンテン国立公園に11時前に到着。エコーポイントというところから、スリーシスターズと呼ばれる峡谷を見た。まるでグランドキャニオンのような雰囲気 かも?

←ブルーマウンテン国立公園 スリーシスターズ

 バスは別の場所へ少々移動し、そこからロープウェイで見物。(・・・なんとかトロッコとかいう、急斜面を走るらしい乗り物との二者択一だった。見た限りではあのトロッコはかなり恐ろしげだった。 ロープウェイにして良かった・・・。)

 どこかのホテルへ連れて行かれて昼食となった。ビュッフェ形式だったので気をつけては見るのだが、やはり食べすぎてしまう。雰囲気の良いレストランだった。
 13時30分出発、14時50分ごろ、
オーストラリアンワイルドライフパークに到着。念願のコアラを抱いての記念撮影となった。ポラロイド写真で撮ってもらったやつを早速見せてもらって喜ぶ。(今だったらデジカメや携帯のカメラですぐ見られるからどーってことないけれど、当時はその場ですぐに見られるのって珍しかったんだわよ。)
 コアラを抱いて撮影、と言っても、コアラを直接抱けるのではなくて、コアラがしがみついているぬいぐるみを人間が抱いて撮影するという方式だった。コアラの爪が危ないからという理由で、ニューサウスウェールズ州の法律で決まっているのだそうだ。



 15時40分に出発、16時30分ごろにはシドニー市内に戻った。
 日本人ばかりのツアーで、ガイドが日本語をしゃべり、たいていの店でも日本語が通じて、まあ楽でいいとは思うけど、ちょっとなんだかなあ、という気分にもなった。
 ホテルまで一旦送り届けてもらった後、独自にお出かけ。タクシーでサーキュラーキー方面へ。アンガス&クート免税店に友人が用事があるということだったのでくっついていった。フィルムが余っていたのでシーサイドを散歩し、オペラハウスやハーバーブリッジを再度撮影してしまった。タクシーでホテルへ戻る途中、渋滞に巻きこまれ、メーターがどんどん上がっていって焦ったのだが、ドライバーさんが良い人で、気を利かせてホテルまで歩けば2分だという場所でおろしてくれた。やれやれ。

 18時ごろ、ホテルのBISTROというレストランで夕食。このレストランには今朝も昨日の朝も、一昨日の夜も行った。
明日は朝が早いので、夕食後すぐに荷物整理をして帰国の準備。


 

1993年9月12日(日) 旅行9日目 最終日

シドニー発 → 帰国    

5:30 起床
6:50 チェックアウト
7:10  シドニー・キングスフォードスミス空港着
9:30 日本航空772便で出発 (席40E)
19:00(=日本時間18:00) 成田空港着
    成田エキスプレス利用 21時10分ごろ帰宅

 

早起きして、淡々と帰国。
シドニーと東京の時差は、たったの1時間というのは有難い。
それにしても、あまり「外国にきた!」という実感のない旅行だった。
アメリカ旅行のような緊張はなかったので、旅慣れない新婚旅行者などに向いてるんじゃないか?と思った。

     

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