中国(北京4日間)旅行記

旅行期間 1993年(平成5年)10月8日から11日まで
 
某社企画の「体にやさしい美食の都 味な旅・北京4日間」(現地係員付)に参加 
食事条件 4日間:朝食3回、昼食3回、夕食3回
旅行代金 199,000円 
宿泊場所 北京 某ホテル

  


 

 旅行中はいつも旅日記をつけているのだが、この旅行の期間中はそれを全く書かなかった。書く気がしなかった、というほうが正しい か。そのため、今となっては細かいところは全く覚えていないが、とにかく、「もう二度と、中国に旅行には来ないだろう」と思っていたのは事実である。

 まず、現地の空港に到着した途端に、来たことを後悔してしまった。
空港で特に何があったというわけではない。北京が悪いわけで もない。私にはこの雰囲気は合わない、と思っただけのことである。

 一方、私よりも後で中国旅行をしてきた人たちはみんな口をそろえて

  「すごーく、良かったよ〜♪」
  「楽しかったよ〜♪」
  「食事美味しかったし〜」
  「漢字だから、なんとなく意味がわかるし〜」
  「やっぱり4千年の歴史でしょう!」

 云々と良い評価ばかり口にする。いったいなんなんだこの違いは? 私は運が悪かったのか?そう思うとなんだか悔しいので、もう一度行ってみたい と思わないでもないけれど・・・(別の旅行会社を使うか、または自分で手配して)。

 


 

1993年10月8日

 夕食時、ホテルの部屋に、貴重品以外の大きな荷物を置いて、部屋の鍵をかけて、レストランに向かった。

 戻ってきてみたら、何者かによって荷物が開けられた形跡があった。友人のも私のも両方ともである。何か盗まれたわけではないが、これが不信感の始まりである。

 夕食もツアーに含まれたものだったのだが、何一つ美味しくなかった。何を食べて良いのかわからないぐらい、変なものばかりがでてきた。でもこの日は「薬膳料理」だから、そんなもんだろう、と思って後に期待していたんだけれど 、その考えは甘かった。

 このツアーは全て食事つきだったのだが、どこへ行っても、どのレストランでも、私たちは冷遇されていた。奥が空いているのに、入り口近くに座らされたり、他の人と違う質素な食べ物ばかりを与えられていたり。
 ツアーに組み込まれているものだからといって、こんな目にあったことは今までにない。しかも、この時は、3泊4日で20万近く旅行代金を払っているのに、これって酷いと思う。もう二度とこの旅行会社は使わない。

 


 

 

1993年10月9日
 

 とりあえず万里の長城に行ったことは覚えている。 

 「男坂」と「女坂」があって、当然私は相対的に楽な(はずの)女坂を選んだ。にもかかわらず、疲れて最後まで登れなかった・・・。

 

 一方、一緒に行った友人は、やたら体は細いくせに体力があるんで、すいすいらくらく登っていた。途中で、「私はここで待っているから、行ってきて」と言って、見送ったのだが、その後姿の軽やかなこと!いいなあ、生まれつき体力があって、運動神経もよくって、体育の授業で嫌な思いしたことなんてないんだろうなあ・・・って羨望のまなざしをおくりつつ、私はへたばっていた。

 

 

1993年10月10日

北京動物園→

 そういえば、パンダの形のチョコレートがあれば買いたいと思って旅行中ずっと探していたのに、結局見つからなかった。

 自由に買い物する時間もなかったし・・・自由に買い物しろと言われても、やっぱり言葉の壁が大きいし。
 やっぱり英語って偉大だなあ。単語の羅列でも、意思の疎通にはなるし。単語すらわからない中国語に比べればマシ。

 


 

1993年10月11日

 北京首都空港15時15分(現地時間)発の全日空906便で帰国。日本時間20時15分着。

 この、運の悪い旅行を象徴するかのような出来事が、帰国後にも発生。成田空港から自宅へ戻る手段として、通常は成田エキスプレスを使うのだけれど(事実、行きはNEX利用だった)、帰りは、どういうわけか、リムジンバスで帰ることになった。そうしたら・・・
 この日は、外国政府高官(エリツィン・ロシア連邦初代大統領)来日の為とかで、そこかしこで交通規制が・・・。       というわけでバスは
ものすごい大渋滞にまきこまれ、予定より2時間以上遅れて新宿に到着したのだった。参った。

 


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