南紀(熊野古道・潮岬)4日間の旅日記その4

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2008年9月5日(金) 渡瀬温泉 => 新宮・名古屋経由 => 東京

*渡瀬温泉11:20発 → 新宮駅12:00着 (ホテルささゆり送迎バス)
*新宮13:03発 → 名古屋16:18着 (特急ワイドビュー南紀6号)
*新宮13:50発 → 名古屋17:18着 *東海地方大雨により南紀6号遅延
*名古屋16:30発 → 東京18:13着 (新幹線のぞみ30号)*当然名古屋到着も遅れたため、乗継予定ののぞみ30号に乗れず・・・
*名古屋17:47発 → 東京19:30着 (新幹線のぞみ314号)
 


 8時に朝食。昨夜と同じレストランにて和食。豪華でしたあ。朝食後に内風呂へ行く。貸切だった。水を取りに戻ってから、また吊り橋を渡って露天風呂方面へ。またもや 貸切家族大露天風呂へ。 4つあるうち、昨日入った「ささゆり」が一番広くてよさそうだったので、また「ささゆり」に入る。虫さんがブンブン飛んでくるのが気になるが、やっぱりこんなに広い貸切風呂は他にないだろうなあ。しかも源泉かけ流しだし。続いて大露天風呂へ行く。さすがにもうあまり人がいなかったなあ。そんなこんなで10時20分まで露天風呂付近で過ごす。一旦部屋に戻った後、JTB特典のコーヒー券を使ってラウンジでアイスコーヒーを飲む。10時40分ぐらいまで浴衣でうろうろしていた。11時チェックアウトだったのだが、部屋が広いのをいいことにその辺にほったらかしていた荷物をドダダダダとまとめてパパっと身支度。11時30分新宮行きの送迎バスを予約していたので、チェックアウト後しばし写真撮影やら散歩やらで過ごす。すると、11時20分ぐらいには送迎バスの運転手に声をかけられ、どうやら客は我々だけらしいので、もう出発しても良いという。そうか、他のお客様は皆様お車でお越しなのね。12時過ぎに新宮に到着。

ささゆり正面。高いだけあって、良い宿でしたあ。

 さて、土産物屋で試食でもするか・・・じゃなかった、土産でも探すか、とその辺をうろつき始める。ところが、土産物屋がない。あっても閉まっていたりする。わーん。結局、昨日歩いてきた浮島の森の先まで歩いていく羽目になり、どうにかこうにかゲット。駅に戻ってきたところで、駅の売店に土産物が少々存在していたことが判明した。
 ところが、さらにその後、もっと驚愕の事実が発覚するのである。

新宮駅売店前。この後驚愕の事実が発覚する。

 13時3分発の特急ワイドビュー南紀6号に乗るため、駅の待合所で座って待つ。既に1時間前に出発したはずの勝浦行きの各駅停車の発車案内がまだ駅の電光掲示版にあったので、「本数が少ないから、リアルタイムでは表示を変えないんだなあ」なんて勝手に納得していたのだが・・・。
 そうじゃなかった。駅の放送で、東海地方の大雨の影響で4-50分遅れている云々と言っているのが聞こえた。そうか、じゃああの勝浦行きは遅れているのね、なんてまたもや勝手に納得していたのだが・・・。
 そうじゃなかった。改札を通って2番線に向かおうとしたら、「南紀6号は東海地方の大雨の影響で50分ぐらい遅れてます」と言う。ええっ、遅れてたのは、我々の乗る予定の特急のことだったのぅ??そんなー。困るー。名古屋で新幹線に乗り継ぐのに、間に合わないじゃーん。ぎゃあぎゃあ。


新宮駅のホームにて南紀6号の到着を待つ


発車予定時刻は13時3分なのに撮影時刻13時14分

  遅れている特急を待つべく、新宮駅ホームのベンチにしばし座る。ホテルささゆりでチェックアウトのときに持たせてくれた寿司飯を食す。まるたはビールにピーナッツ。遠足用に大量に買って持ってきたおやつをほとんど食さずに持ち帰ることになっていたのだが、その菓子が役立つときがきた・・・。むっしゃむっしゃ食べて待つ。
 30分遅れで新宮駅にやってきた特急が折り返し運転で名古屋行きの南紀6号になるという。それが発車したのは、結局のところ50分遅れの13時50分ごろであった。

 名古屋屋到着は約1時間遅れの17:18頃。したがって、名古屋で乗り継ぎ予定だった16:30分発のぞみ30号に乗れなかった。せっかく乗り心地のよい(らしい)N700系だったらしいのに。ちぇっ。ちぇっ。結局17時47分名古屋発ののぞみ314号(700系)で帰ってきたのだが、実は、17時53分名古屋発ののぞみはN700系だったらしい。ちぇっ。ちぇっ。

 東京駅到着は19時30分。のぞみ314号としては定刻に着いたのだが、我々の当初の予定からは1時間20分遅れて東京駅に到着。そして、帰宅は20時半過ぎ。 次の日出勤じゃなくて良かったあああ。
 ああ、楽しい温泉旅行が終わってしまいましたあ。


以上、「南紀(熊野古道・潮岬)4日間の旅日記」おしまい


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