1992年3月8日(日)  ビクトリアからバンクーバーへ


 

 9時にビクトリアのホテルをチェックアウト。

 静かな日曜日の朝のビクトリアを4人連れでスーツケースをごーろごろごろごろごろごろ音をたてて転がしながら7ブロックほどの道を歩いて行くには(来るときもそうだったけれど)、行き交う人々の好奇の視線に耐える必要があった。

 バスディーポには9時15分ごろ到着。10時発のPCL(パシフィックコーチライン)バスに乗るので、出発まで暇だった。PCLのバスでまたもやバスごと船に乗り込み12時前に船中で昼食。12時半過ぎにはバスが陸に出た。13時過ぎ、バンクーバーのバスディーポに到着。

 わずかな距離ではあったがバスディーポから宿泊場所まではタクシーを使った。バンクーバーでの宿泊場所として決めていたのはYWCA Vancouver。14時ごろ部屋に入る。・・・それまでの6箇所は、「ホテル」(特段豪華なところを選んだわけではないが、アメリカン仕様で部屋もベッドも比較的大きい)と呼ばれるところに泊まっていたものだから、対照的にあまりに質素な狭い部屋に小さなベッドというのにとても驚いた。なんで最後の宿泊場所に質素なところを選んだのか謎。しかし質素とはいえ、そんなに嫌な感じではなかった。2人部屋が2部屋つながったタイプの部屋で、4人で泊まる我々には便利な部屋だった。

 同行の友人の1人はこの旅行の1年半前の夏(1990年夏)にバンクーバーで1ヶ月余のホームステイを経験しており、この日はそのときにホームステイしていたお宅へ行くというので、別行動。15時ごろ3人でバスに乗ってUBC(ブリティッシュコロンビア大学)へ。新渡戸記念庭園( 東京女子大学の初代学長である新渡戸稲造博士が1933年、ビクトリアで客死したことを悼んで造られた日本庭園)へ行ったのだが、日曜日は案の定、休園日であり、中には入れなかった。

 UBC人類学博物館を見学した後、バスで戻ってきたが、YWCAの周囲の雰囲気があまり良くないように感じて(根拠はないが、人通りがあまりにも少なくて)、歩いているのはちょっと怖かった。YWCAの部屋に戻ったが、別行動中の友人はまだ戻っていなかったので、3人で再度出て、マクドナルドへ行き、ハンバーガーをテイクアウトしてYWCAの部屋で食べた(これが夕食)。

 


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