オーストラリア旅行記

ケアンズとメルボルン・シドニー9日間(JTBワールド主催「パレット」):現地係員付
旅行期間:1993年(平成5年)9月4日から12日まで

      

月 日 地名 発着時刻 交通機関 スケジュール 食事
9月4日(土) 東京発 20:00 JL(日本航空)775便                       <機内泊> 夕:機内食
9月5日(日) ケアンズ着 04:10  

着後:ホテルへ
                    <ケアンズ泊>

朝:なし
昼:なし
夜:なし
9月6日(月 ケアンズ     1日:自由行動            <ケアンズ泊> 朝:なし
昼:なし
夜:なし
9月7日(火) ケアンズ発

メルボルン着

11:25

16:15

AN(アンセット航空)071便

 

(ブリズベーン経由)

着後:ホテルへ              <メルボルン泊>

朝:なし
昼:機内食
夜:なし
9月8日(水) メルボルン     午前:メルボルン市内観光
午後:フィリップ島観光
日没後:ペンギンパレード見物 <メルボルン泊>
朝:なし
昼:レストラン
夜:レストラン
9月9日(木) メルボルン発

シドニー着

12:00

13:10

AN028便

 

着後:シドニー市内観光

                     <シドニー泊>
朝:なし
昼:機内食
夜:なし
9月10日(金) シドニー     終日:自由行動
                     <シドニー泊>
朝:なし
昼:なし
夜:なし
9月11日(土) シドニー     終日:自由行動
                     <シドニー泊>
朝:なし
昼:なし
夜:なし
9月12日(日) シドニー発
東京着
09:30
18:00
JL772便
  朝:なし
昼:機内食

 

1993年9月4日(土)
 
16時12分 新宿発成田エキスプレス33号→空港第2ターミナル17時28分着
 18時40分 日本航空775便出発団体説明
  〜     各自出国審査等
 19時35分 搭乗開始
 20時00分 
日本航空775便 ケアンズ経由ブリズベン行き 定刻通り出発 
         席 44A (窓側)

  〜

1993年9月5日(日)
 
4時15分(=日本時間5日3時15分)ケアンズ着
        空港からホテルまで タクシーで10分位
 
5時00頃 
 Holiday Inn Cairns 着 419号室チェックイン

 
 
 

 台風13号の影響で、出発便がどうなるか心配していたが、新宿駅へ向かうころには晴れてきていた。が、風は強かった。
 成田に向かう成田エキスプレス車内では、隣席に女が2人座っていたのだが、この人達ががひっきりなしにぺちゃぺちゃぺちゃぺちゃしゃべっていたんで、感心した、というか、参った よ・・・。

 出発便は20時発で、機内食が出たのが離陸後2時間経ってからであったため、空腹で辛かったー。機内座席はエコノミークラスの、3人並ぶ席の一番奥(窓側)だったので、
なんとなく閉所恐怖症のような状態に陥った。トイレにたつにも横の2人 (うち1人は同行の友達だが、もう1人は全く知らない人)を押しのけて通路に出なければならず、気を遣うので嫌だった。この時以来、私は飛行機では可能な限り通路側座席をリクエストするようにしている。しかるに空港係員で「窓側がいいでしょう」と勘違いしてシートアサインしてくれる人がたまにいるんだけれど、有難迷惑な話だ。なんで「窓際がいい」って思うんだろう? ガキじゃあるまいし外見たって別に嬉しかあないよ。私は、自由に席を立てる通路側のほうが良いっての! 
 
 関係ないが、離陸する時、
私の席にだけ機体上部から水滴が落ちてきた。機内と外気温の差か何かで発生したものだろうけれど、ぱらぱらぱらぱら落ちてくるもんだから、それに気をとられていて、離陸の瞬間がわからなかった。 いったい何故、水滴が・・・?疑問が解決しなかったので、帰国後に日本航空に問い合わせの手紙を送ったところ、苦情だと思われてしまったらしく、やたら丁重な(慇懃無礼とは言わないが・・・)謝罪文が送られてきてしまった。いや、別に謝って欲しかったわけじゃなかったのに。どうしてなのか発生原因を知りたかっただけなのに。うまく伝わらなかったらしい。

 
 
 
 

 ケアンズ空港着陸が真夜中(日本時間3時15分)だったため、入国審査の行列を待つ間が眠くて眠くてつらかった。お迎えのタクシーのドライバーが来るのを待つ間も眠くて眠くてしんどかった。ホテルに着いてから係員の説明を聞いている間も眠くて眠くてしんどかった。

 ホテルの部屋に入ってからしばらく(7時〜11時)仮眠をとったが、なんだかぼやーっとしてかったるかった。まあそれも外に出て太陽を浴びたらようやく回復。ホテルの前 は海。海辺の道を歩いてピアショッピングセンターへ。ここでブランチを買う。セルフサービスで購入後、空いている席を探してうろうろしている間に袋の中からひとつパンを取り落とした!(捨ててしまわねばならなかった・・・。) ・・・これが機内食以来の食事であった。

 DUTY FREE SHOPPERSを見学。シティプレイスでぼーっとする。15時〜ウールワース(スーパーマーケット)で明朝食用のパンを購入し、ホテルに戻る。

 紫外線が日本の3倍強いとのこと。晴れると暑い。しかし今年(1993年)は異常気象とのこと、乾季であるはずの今、ときおりスコールのように雨が降る。雨量は多くはない。そういえば空港に到着した時にも雨が降っていた。18時に再び外出。1ブロック歩いてレストランに行き、カルボナーラとオレンジジュースの夕食。

 
 
 

1993年9月6日(月) 旅行3日目 ケアンズ 晴一時雨

オプショナルツアーに参加
GREAT ADVENTURESの「ノーマン・リーフとグリーン島」:昼食つき 大人1人115ドル
   


 
6:00 モーニングコール
7:40  ホテル前 →(バス)→ ピア
    グレートバリアリーフツアークルーズ申込所
8:30 船出発
9:50 
ノーマンリーフ
    10.45〜潜水艦〜11:15
    昼食(バイキング)
12:45 乗船 
13:15 出発
14:25 
グリーン島
     ビーチ
16:30 出発
17:30 ケアンズ帰着
 

昨夜は9時過ぎに寝てよく眠った。しかし朝の寝起きは珍しくイマイチ。って、寝すぎか?
昨日買ったパンとヨーグルトで朝食。

ノーマンリーフに行くまでの船は割と揺れた。まあ船は揺れるんだろうけれども、ノーマンリーフとやらいう人工島(?)は、その島自体も揺れているらしく、船を降りてもまだ揺れていた。
潜水艦に乗った。観光用だからかもしれないが、それほど楽しいものでもないんだなあ。
昼食のバイキングも、島が揺れているので、船の上の食事と変わらないよね。


↑ ノーマンリーフにて

   


ノーマンリーフからグリーン島へ行くときはほとんど揺れなかった。グリーン島へついた時、わりと強い雨が降っていたので、晴れてからビーチへ行ってみた。日光が出ると暑い。ひっこむと寒い。

せっかくもってきたからと、水着に着替えてみたが、
水が若干冷たかったので足をつけただけでやめた。15時から50分ぐらいビーチにいたが、日焼け止めもぬっていたので、ほとんど日焼けはしなかった。


↑ グリーン島 ビーチにて

   

ケアンズに戻るときは、ほとんど眠っていたらしく、気がついたらケアンズだった、という感じ。

夕食はピアマーケットプレイスにて。ケースをみて店の人に頼んでさらにのせてもらうという形式のところで中華料理が並んでいるところを選ぶ。ここで店員(中国人?)におちょくられた気がする。flied riceとchickenを頼んだのだが、
なぜか店員はニヤニヤ薄笑いを浮かべつつ、何度もchicken? chicken?と尋ねられて訳がわからなかった。発音が悪いにしても、実物(どーみてもチキン)を指差して言ってるんだからわかるはずだが。

それにしてもここは、どこへ行っても日本語が併記されていて、
あまり「海外旅行」らしくない。英語なんてしゃべらなくても済んでしまう。

ケアンズは、ニュージーランドのオークランドに似ているな、と思った。静かで良い。英語は本当に「エイ」が「アイ」になっていた。

   
 
 

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